最高裁判所第一小法廷 昭和22(れ)86 判決
主 文
本件上告を棄却する。
理 由
弁護人池田謙太郎上告趣意は「本件記録ヲ閲覧スルニ契印ヲ欠ク所カ非常ニ多イ
二百十二丁二百十三丁ノ如キ捜査報告書ノ同一文書テ有ルニ拘ラス其レニ契印ヲ欠
ク様テス。其ノ他事柄カ他ニ移ル場合、見取リ図トカ言フ様ナ書類ニハ非常ニ多イ、
判決ニハサシタル影響ハナイニシテモ記録其ノモノヽ信頼カ薄弱ニナツテ参リマス、
刑訴七一条第二項ニ規定スルノモ斯ル点カラテセウト思ヒマス中ニハ裁判長ノ命令
書ニ捺印ノナイノカ有リマス(四四一―二―三―四丁裁判長判事大西和夫)其他原
判決ハ適切妥当ノ判決テ有ツテ理由トシテ取リ上ケテ申述ヘル点カ無イト確信シマ
ス」というにある。
しかし、所論のような記録上に契印を欠く瑕疵があるとしても、本件においては、
判決に影響を及ぼさないこと明白であるが故に、これを上告の理由とすることはで
きない。
被告人上告趣意は「社会の安寧秩序を乱し大罪を犯しました私が今尚斯うしてお
手数をお掛け申上げ又今度は上告に就きまして色々御上に御迷惑をお掛け致しまし
て誠に申し訳なく思つて居る次第であります。私と致しましては家庭の事情又色々
の事情がありまして服罪させて頂く事は出来なかつたのであります。私の犯しまし
た罪状及現在の私のありの儘の心を正直に述べさせて頂き趣意とさせて頂きたいと
思います。今一度左の事に就きまして御取調べ願いましてお上の御情に御縋り申上
げたいと存ずる次第であります。私は小さい時は暖かき両親の許で育てられました
が気が弱く至つて無口で独りぽつちでした。心配事がありましても子供らしく快活
に両親にも申し上げる事も出来ませんでした。大きくなつて奉公に出され、幾度も
苦難にあひ悲観的厭世的気分になり独り苦しみ続けて来たのであります。私は生れ
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ると直に病気で永く寝て居たさうです。それで私は頭に異常を生ずる様になつたの
ではないかと思ひます。又幼少の時より身体が軟弱であり小学校の帰途日射病で倒
れた事を今も記憶して居ります蓄膿症を患つてからは逆上せ頭痛耳鳴り等に常に悩
まされました。随つて脳障害に依る苦痛は絶へずあり、此の為にも若干精神的に変
化が来たしてみたのではないかと思ひます。其の後蓄膿症は手術しましたが、全快
せず、健康には恵まれませんでした。「健全なる精神は健全なる身体に宿る」と言
う諺がありますが此れは私を指摘された言葉と思ひます。私は生れつき意志薄弱で
短気でありまして、又癇癪も起す様になり又臆病で一つ事に夢中性を持つ様になつ
たのであります。勿論不健康と右の状態であつては勉強も充分出来ませず、智性に
も欠けておりました。其の上肺浸潤を併発し随つて精神過敏となり神経質になり少
しの事でも気がいらいらして落着けないのであります。私は大東亜戦争が始まると
直ぐ海軍志願致しまして天皇陛下の為、国の為死を覚悟して行きましたが、意志薄
弱、虚弱の為精神的又肉体的苦しみに堪へきる事が出来まぜず罪を犯すに至つたの
であります。今又かゝる大罪を犯し、天皇陛下に対し誠に申し訳ない事でお詑び申
し上げ様もありません。私は復員後、長兄と一緒に働いて居りましたが、何だか、
長兄は私に対して、打ち解けた様な態度は見られませんでした。一度叔父さんは、
私に「働く所があつたら、考へておいてやらう」と言はれましたが、其の後何とも
ありませんでした。長兄は入用の金も一文も呉れませず、私の将来の事に就いても
一言も言はず、少しも心配して呉れませんでした。私は就職のことを考へましたが、
戦後の食糧難、不景気等から遂に職を得る事が出来ませんでした。それから日がた
つにつれて長兄は物も言はない、態度も冷淡になつてきましたが、私は長兄の事で
あり戸主でありますので腹立つ感情を押へつゝ何も言はずに働いてきましたが、長
兄は理性的で情に冷たく私は理性が弱く感情的でありまして、性質が反対で、全く
意見も合ひませずだんだん仲が悪くなり、長兄は「勝手にせよ」と言つて、それか
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ら私の事は何もして呉れませんでした。私も長兄の余りの冷淡さに少し反抗的気分
になりつゝありまた食事も充分与へて呉れず金もありませず、空腹感は絶へず私を
苦しめました、其処で私は次兄の洋服を売り食に代へて空腹を堪へ忍んで居りまし
たが十二月二十八日私が洋服を売つた事を長兄が知りまして酷く怒り手で私の顔を
なぐりつけましたが、私は自分が悪いのだからと思つて、黙つて辛抱致しておりま
すと意外にも長兄は「お前は前科をつけやがつてよう家へのこのこ帰つて来やがつ
たな」と痛言を浴せて家を出て行けと言はん許りの態度に、私は無理に寝床に這入
りましたが、長兄の怒りはやまず私は其夜一人煩悶苦悩し、世の無情悲哀を感じて
極度の自暴自棄に陥り家を飛び出して、此様な悲惨な事件を引起す様になつたので
あります。放火の時私は金も無く腹はへりますし、世の中が何か厭な気持がしたの
と、自暴自棄になつてみたのとで夢中になつてやりました。勿論中に人が居るか居
ないかも知りませんでした。強盗に行つた時家内は三人と思ひましたので私は一人
で縛る事も出来ませんし、知られて居りますので、物を言う事も出来ませんし、仕
方なく、げんこつでなぐりつけ、簡単に気絶させ、金品を取つて逃げる目算で殺意
は全然ありませんでした。這入つてからの事ははつきり判りませんが大体次の様に
思つて居ります。這入つて手でなぐりつけますと、表の方へ逃げ出しましたので、
私は逮捕を怖れて逆上せて終い精神錯乱し、狂気の如き状態になり手当り次第にな
ぐりつけ、二人とも倒し、金品を取りました。最後にスコツプでAさんをなぐつた
のは、うめき声が気になり、愚さ故か精神錯乱の故かなぐりつけてしまつたのであ
ります。Aさんは苦悶の中に我子の事を思つて、悲憤の涙を呑んで倒れられた事と
思ひます。遺族の方も悲歎の涙にくれてどれ程私を恨んでゐなさる事だろうかと思
ふと、Aさん又遺族の方に対して私の胸は申し訳ない気持で痛み、何故私は此様な
事をしたのだろうと悔まれどうかして此のお詑を致さなければならないと言ふ気持
にさいなまれるのであります。此事は私の生涯に忘れる事の出来ない痛恨事として
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後悔と反省の念を湧き起させるのであります。現在の私はせめてものお詑に朝夕に
叉思ひ出してはお念仏させて頂き、Aさんの御冥福を御祈りさせて頂いて居るので
あります。遺族の方にも申し訳なく思つて居りますが何ともお詑出来ないのが残念
です。警察署で最後の日に母に会ふ前に私はもう会へないだらうと思ふとたまらな
く母に抱きついて泣いてお詑をして最後のお別れをしたいと思ひましたが、刑事さ
んの前で母の顔を言葉を聞きますと胸がふさがつて、何も申し上げる事も出来ませ
ず、涙を拭つて俯向いて居りました。母は最後に「お情にお縋りしてどうぞ助けて
頂くやうに」と一言真剣に言はれました。其の慈愛の御言葉は永久に忘れる事は出
来ませんが、とうとうこれが私に対する毋の遺言となつてしまいました。私は心の
中で「母様どうか達者で長生きして下さいます様」と祈りました。併し奈良へ行く
時見送つて下さつた母の悲しい淋しさうな顔は心に焼きつけられて何時々々迄も忘
れる事は出来ません。母は亡くなる日の朝「今日はもう死ぬからBに面会に行つて
来てやつて呉れ」と言はれました。そして母は其の日に亡くなられました。母の気
持を思へば、私は申し訳なさと悲しみで只泣く許りでした。私は私の故にお母さん
が病気が重くなつて亡くなられた様に思はれ悲しみや苦悶や色々に胸を締めつけら
れとてもたまらない気持であります。毎夜の如くお母さんの夢を見る度に生前の御
心配を思ひ御成仏なさらず御迷ひになつて居られる様に思はれ私の胸はいつも痛み
朝夕お念仏させて戴き母の御霊に「どうか私の事は心配なさらず御安心御成仏下さ
います様」御祈り申し上げるのであります。私はお母さんに成仏して頂きたい気持
で一杯であります。生前に不孝致した故尚更申し訳ないのであります。妹にも散々
迷惑をかけて本当に可哀想に思つて居ります。此の前七月に二人共面会に来てくれ
ましたが妹は「今日休みやから内しよで来た」と言ひ云ふした。長兄は妹にも怒つ
て居るさうで妹は「昨夕かて、長兄さん酷いこと怒らいねえ」又「同じ兄弟やのに
なあ」と泣いて申して居りました。それを聞くと私もたまらず泣きました。両親も
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なく、こんな兄弟を持つた妹は可哀想です。長兄に内しよで妹が面会に来て呉れま
すのも、私には嬉しいやら悲しいやらの気持に襲はれるのであります。現在の私は
御仏様の前に一切を懺悔し毎朝礼拝させて頂き今日一日を修養に専念して称名念仏
申し上げ乍ら只管にA様とお母様の御霊の安かれと御冥福を御祈り申上げて居りま
す。広大の仏恩を仰ぎ罪深い愚かな私が道をふみはずすことなく御慈悲に感謝して
正しく新たに生れかはつてゆきたいと私は願つてやまないのであります。又此の有
難い仏恩に感謝しつゝ世の人々にも尊い御仏の御救ひを微力乍らも御伝へ致したい
と希ふのであります。拙き筆を持ちまして、上告の趣意とさせて頂きます。」とい
うにある。
被告人が前悲を悔い、ひたすらに血を分けた亡母や妹をなつかしみ、又被害者の
冥福を祈つて毎日念仏懺悔生活を送つている心情は、尊いものである。しかし、国
の法律は重い。原判決は各証拠に照らして被告人の犯罪行為を認定したものであつ
て、上告趣意のように殺意は全然なかつたとか、精神錯乱して狂気のごとき状態で
行つたとかいうことは、認めていない。
かかる事実の認定は、刑事訴訟法の上では、原審裁判所の専権に属することで、
これを非難することは、上告の適法な理由とはならない。
よつて、刑事訴訟法第四百四十六条に則つて、主文の通り判決する。
この判決は、裁判官全員の一致した意見である。
検察官松岡佐一関与
昭和二十二年十二月四日
最高裁判所第一小法廷
裁判長裁判官 斎 藤 悠 輔
裁判官 沢 田 竹 治 郎
裁判官 真 野 毅
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裁判官 岩 松 三 郎
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